東京地方裁判所 平成8年(ワ)14109号 判決 1998年6月12日
原告
塩澤定三
外三名
右原告ら訴訟代理人弁護士
瀬川徹
被告
塩澤伸二
外一名
右被告ら訴訟代理人弁護士
脇田輝次
主文
一 訴外亡塩澤カネが平成元年一二月一日にした別紙記載の自筆証書遺言は無効であることを確認する。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文同旨
第二 事案の概要
本件は、原告らが、同人らの実母が死亡する約一箇月前に行った自筆証書遺言について、右遺言当時、実母には遺言を行うだけの意思能力がなかったとして、右遺言が有効であると主張する相相続人らを被告として、その無効確認を求めている事案である。
一 争いのない事実
1 亡塩澤カネ(以下「カネ」という。)は大正三年七月一日生まれの女性であり、平成元年一二月当時七六歳であった。
2 カネは、夫亡塩澤武男(以下「武男」という。)との間に、原告ら及び被告らの三男三女をもうけた。
3 武男は、別紙物件目録記載の不動産を所有し、同目録記載三の建物(以下「本件」という。)を自宅兼事務所として税理士を開業していたが、昭和六二年に入院し、同年九月二九日に死亡した。
4 その後、カネも、平成元年一二月二八日、入院先の高島平中央病院で死亡したが、同人は、同年同月一日に別紙記載の自筆証書遺言(以下、右遺言書を「本件遺言書」という。)を行った。
5 なお、武男の相続財産として別紙物件目録記載の不動産などがあるが、同人の相続人であるカネ及び本件当事者らの間では、遺産分割の協議は成立しておらず、また、カネは、その死亡当時、右武男の遺産の相続分のほかには、不動産を所有していなかった。
二 当事者の主張
1 原告
カネは、昭和六三年八月ころ以降、知能低下が高度異常の段階にまでに達する老人性痴呆の状態にあり、右状態は死亡するまで回復したことはないから、平成元年一二月一日に本件遺言書を書いた当時、同人には遺言を行うに足る意思能力は存在していなかった。そのことは、本件遺言書の記載内容からも明らかである。
よって、本件遺言書による遺言は無効であることの確認を求める(本訴請求)。
2 被告
カネは、本件遺言書を作成した平成元年一二月一日当時、加齢による能力の衰えはあったものの、老人性痴呆の状態ではなく、遺言書を作成するに足る意思能力を十分備えていた。
三 争点
したがって、本件の争点は、本件遺言書を作成した平成元年一二月一日当時、カネに遺言を行う意思能力があったか否かである。
第三 争点に対する判断
一 各項末尾掲記の各証拠によれば、次の事実が認められる。
1 カネは、武男が入院生活を送っていた昭和六二年九月ころは七四歳であり、武男が入院した後も、老齢のために看病等には当たらず、自宅で二男である被告塩澤伸二と共に暮らしていた。
(甲八、甲九)
2 長男である原告塩澤英一(以下「原告英一」という。)は、武男の存命中から同人の会計事務を手伝っており、同人の死亡後も、同様の事務を処理するため、日中は、毎日、事務所を兼ねたカネの自宅で会計事務の仕事をしていたが、武男が入院したころから、カネが、見終えたばかりのテレビ番組をかけてくれと頼んだり、昼食をとった直後に「昼食を頼まなければだめじゃないの。」というなど、自分自身の直前の行動を忘れているような異常な言動を認めるようになった。
そして、武男が死亡すると、カネは塞ぎ込むことが多くなり、たびたび失禁するようにもなったため、原告英一は、志木市の同人の自宅にカネを引き取って、妻とともに世話をするようになった。
(原告英一、甲七)
3 原告英一は、カネの異常な言動が進行しているように思えたため、昭和六三年八月ころ、カネを東京都老人老人医療センターに連れて行って、医師の診断を受けさせたところ、カネの長谷川式精神知能検査(老人の認知機能障害の有無及びその程度を判定するために広く用いられている検査方法)の結果は一〇点(正常は三一点以上)であり、このころ、老人性痴呆と診断された。
(原告英一、甲五ないし七、乙五の一ないし三)
4 その後、同年暮れころからは、二女の被告菊池惠子(以下「被告惠子」という。)がカネの面倒をみるようになったが、カネは腎臓病が悪化したため、平成元年三月二三日に高島平中央病院に入院した。
(被告惠子、乙一)
5 その後、カネは、右高島平中央病院での入院生活を続けたが、その間の平成元年一一月二七日から同年一二月一日まで被告惠子の自宅に外泊し、右一二月一日に本件遺言書を作成して、翌二日には病院に戻り、同月二八日に急性心不全(当時、慢性腎不全、高血圧症の状況にあった。)により同病院で死亡した。
(被告惠子、甲九、乙一)
二1 ところで、高島平中央病院に入院後のカネの状態については、「話している相手が息子であることが分からない状態であった」(原告英一本人尋問における供述)、「常にぼんやりしていて、自らの意思で何かをしたいという態度をとることができるような状態ではなかった」(甲八の原告鈴木陽子の陳述書)などカネが当時正常な意思能力を欠いていたことを窺わせる供述がある一方、このような状態にはなかったとする被告惠子の供述(被告惠子本人尋問、乙一の同人の陳述書)や「かなり衰弱はしていたが、話している相手がだれかは認識しているようだった」とする証人宮崎豊の証言も存在する。
2 しかし、甲六号証によれば、昭和六三年八月当時の前記検査結果に表れたカネの痴呆は高度異常に属する程度のものであり、その原因は加齢によるものであるから、平成元年一二月当時において、前記検査当時の症状が大きく改善していたものとは考え難い。
3 また、本件遺言書自体、極めて乱れた字で書かれ、全体としての文書の体裁も整っておらず、唯一その内容を記載した部分も、漢字のほか、カタカナとひらがなが混在して使用され、かつ、語順も通常でなく、「いえ」がどの建物を示すのか、その敷地等も含むのかそうでないのかなど、遺言の重要部分の趣旨も明確であるとはいえない(ちなみに、カネには、本件当事者らと共同相続した別紙物件目録記載の不動産のほかには、所有不動産がなかったことは、前記のとおりである)。
4 そこで、前記一で認定した事実と右2及び3の各事実を総合して考えると、カネは本件遺言書を作成した平成元年一二月一日当時遺言を行う意思能力を欠いていたと認めるのが相当である。
三 よって、原告の本訴請求は理由がある。
(裁判官市村陽典)
別紙本件遺言書<省略>
別紙物件目録<省略>